出土例あり。史書に記載なし。『史記』秦始皇本紀「十年…復居甘泉宮」の集解で徐広は「表云咸陽南宮也」と注しているが、北宮はこれに対応する宮殿か。
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出土例あり。秦封泥にはこのほかに「樂府丞印」も出土している。『漢書』百官公卿表では、秦官に少府の属官として楽府があり、令・丞が置かれ、武帝の時になって「楽府三丞」とされたとある。しかし、左楽丞が左楽府丞を指すとすれば、秦 […]
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出土例あり。『漢書』百官公卿表では、秦官に典客の属官として郡邸があり、長(長官)・丞(次官)が置かれたとある。顔師古は「主諸郡之邸在京師者也」と注する。ただし、郡邸が左右に分かれていたかについては記載なし。
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出土例あり。史書に直接の記載はないが、『漢書』百官公卿表に「初御羞・上林・衡官及鋳銭皆属少府」と見える。「羞」は「饈」で食膳の意。「御」が一般に帝王に関するものを指すように、「中」は多く皇后を指す。
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すでに発見されている封泥の官職名を勘案すれば、郡右邸印であろう。出土例あり。『漢書』百官公卿表では、秦官に典客の属官として郡邸があり、長(長官)・丞(次官)が置かれたとある。顔師古は「主諸郡之邸在京師者也」と注する。ただ […]
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すでに発見されている封泥の官職名を勘案すれば、〓部分は左か右であろう。出土例あり。『漢書』百官公卿表では、秦官に典客の属官として郡邸があり、長(長官)・丞(次官)が置かれたとある。顔師古は「主諸郡之邸在京師者也」と注する […]