本館 4階・5階展示室
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寺子屋で学ぼう!ー特集「庭訓往来」ー|館蔵中国書画-臨書・倣画の世界-
寺子屋で学ぼう!ー特集「庭訓往来」ー
【展覧会概要】
観峰館が所蔵する和本・教科書コレクションは、江戸時代から明治・大正時代に使用された習字教育資料を中心に、全国各地で出版され、活用されたものです。また、観峰館の在る東近江地域は、寺子屋などの教育機関における文字教育が盛んであった地域として知られています。
この展覧会では、寺子屋で使用された、さまざまな「往来物」を紹介するとともに、その書物がたどった歴史についても紐解いていきます。特集として、「往来物(おうらいもの)」の代表である「庭訓往来(ていきんおうらい)」の全所蔵品を一堂に展示します。
日常生活において、切っては切り離せない「文字」。江戸時代の人びとが学んだ手本にふれてみませんか?
観峰館2021年度夏季平常展示「寺子屋で学ぼうー特集「庭訓往来」ー」展示解説パンフレット
観峰館2021年度夏季平常展示「寺子屋で学ぼうー特集「庭訓往来」ー」出品作品リスト
【会場】
本館4階展示室
第一章 庭訓往来って何だ!?
寺子屋で学ばれていた手習い本の一つに、「往来物」があります。往来物は、往復の手紙の形式を取る、初級の読み書きの教科書です。そして、往来物の代表として知られているのが「庭訓往来」です。
「庭訓」とは、『論語(ろんご)』に孔子(こうし)が庭で子どもに対し詩や礼を学ぶように諭(さと)したという故事から、「親から子へあたえる教訓」という意味で付けられました。
その内容は、1年各月にわたってやりとりした手紙を集めた形式で編纂されています。手紙を通して日常生活に必要な用語や一般常識を教え、基礎教育書あるいは手習いの手本として用いられました。庭訓往来は、人気の手本として不動の地位を築き、各書肆(しょし、書店の古称)が趣向(しゅこう)を凝(こ)らしたさまざまな庭訓往来を出版しました。
【主な展示作品】※クリックで拡大します。
第二章 寺子屋師匠
往来物は、江戸時代の寺子屋の教材として多く利用されましたが、往来物の中には、寺子屋の教師、通称 「寺子屋師匠(てらこやししょう)」が自前で往来物を執筆・編輯したものもありました。
この展覧会に出品した作品は、西川閑斎(にしかわ かんさい)(堂号は龍章堂(りゅうしょうどう))、 坂川暘谷(さかがわ ようこく)(堂号は芝泉堂(しせんどう)などの著名な寺子屋師匠の著書のほか、経歴(けいれき)が知られていない、手習いの書物にのみ名を残した人物の著書もあります。それぞれの寺子屋師匠は、寺子屋の経営者でもあり、その堂号を用いていました。堂号からは、寺子屋師匠の師弟関係がうかがえるものもあります。
彼らは、肉筆の作品をほとんど残していませんが、 このような人物にスポットを当てるのも、博物館の使命の一つといえるでしょう。
【主な展示作品】※クリックで拡大します。
第三章 さまざまな往来物
往来物には、さまざまな種類があります。本来は、往復の手紙のやり取りをまとめた文例集でしたが、江戸時代には、身分に応じて必要な知識や慣習(かんしゅう)をまとめたもの(百姓往来(ひゃくしょうおうらい)、商売往来(しょうばいおうらい))や、「字尽くし」と呼ばれる書簡の形式にとらわれないものなど、多彩な形式の往来物が誕生しました。
また、一冊の書物に一種類の往来物というだけでなく、複数の往来物や、実語教(じつごきょう)や童子教(どうじきょう)、百人一首(ひゃくにんいっしゅ)など、 別の種類の内容を含むものも出版されました。これは、利用者が増えていくにつれ出てくる、さまざまな要望に応(こた)えることで、産まれたものです。
そして、江戸時代前半には、武士の子弟を対象にしたものが多く出版されていましたが、やがて、農民、商人を対象としたものが増えていくことは、江戸時代の社会を考えるうえで、とても重要な変化といえます。
第四章 女子教育
寺子屋に通う子どもたちは、主に男子でしたが、一部の富裕(ふゆう)な女子も寺子屋で教育を受けることがありました。しかし、教育を受けることができた女子は少なく、また、男子と学習内容が異なるだけでなく、その部屋も男子と分けられていました。
女子に求められたのは「たしなみ」であり、礼儀作法などの教訓でした。手習いの手本に「女」の文字が入るのは、「女子が学ぶべきもの」という、明確な線引きがあったからです。
町人や商人の女子にとって、字を習うことは家業(かぎょう)にとって必須であったため、江戸後期には多くの女子が寺子屋で学びました。日本の識字率(しきじりつ)の高さは、このような女子教育の発展によるものといえます。
調査研究 西川閑斎のこと
寺子屋師匠の西川閑斎は、多くの手習い本の筆者ですが、経歴はよく分かっていません。そこで、観峰館所蔵本から分かることをまとめてみました。
①、京都に住居を構えている。(作品№24など)
②、号は、閑斎、龍(竜)章堂を使用している。また通称として正造(正蔵)(しょうぞう)と名乗っていた。
③、「江戸往来」(作品№25)を書いた年に、六十三歳である。
④、天保八年(1837)には亡くなっている(作品№26解説参照)。
生年については、他館所蔵の天保六年(1835)出版「孝行 往来」に、「(数え)七十一翁」とあるので、ここから明和二年(1765)と分かります。また④から、天保七年もしくは八年、七十二もしくは七十三歳で亡くなっていることになります。
なお、文政十三年(1830)再刻の「平安人物志(へいあんじんぶつし)」には、住居が六角富小路西とあります。
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【メディア掲載情報】
館蔵中国書画-臨書・倣画の世界-
【展覧会概要】
観峰館が所蔵する中国書画から、「臨書」と「倣画」を中心に取り上げます。
手本を写す「臨書」と先人の画風に倣う「倣画」は、中国書画の学習方法として、また表現手段として、古くから行われてきました。本展では、観峰コレクションの中から近代中国の書家・画家による「臨書」と「倣画」をご紹介します。
観峰館2021年度夏季平常展「館蔵中国書画-臨書・倣画の世界-」解説冊子(3.07MB)
観峰館2021年度夏季平常展「館蔵中国書画-臨書・倣画の世界-」出品作品リスト(306KB)
【会場】
本館5階展示室
【展示内容と主な展示作品】※クリックで全図を表示します。
Ⅰ 臨書と倣画
手本を写す「臨書」と先人の画風に倣う「倣画」は、いつの時代でも手本として用いられる「古典」を、その範としてきました。本展ではまず、東アジアにおいて「書聖」と称される王羲之(303?~361?)の書を写した臨書作品と、宋と元の画風に倣ったとする絵画を展示しています。それぞれの作品から、古典への憧れを感じて頂ければ幸いです。
Ⅱ 石刻の臨書
石に刻された、あるいは青銅器に鋳込まれた文字は、肉筆とは異なる姿を見せます。清時代には、これらを研究対象とすることが流行し、当時の書家たちによる臨書作品が多く残されています。ここでは、肉筆とは異なる姿の文字を臨書した作品を「石刻の臨書」としてまとめました。石碑や銘文の文字を、柔らかな毛筆でどのように書き写すのか―ここに、書家のねらいや制作意図を垣間見ることが出来ます。
Ⅲ 新羅山人に倣う
観峰館が所蔵する中国絵画には、落款に「新羅山人に倣う」と書かれたものが多く存在します。「新羅山人」とは清時代の画家、華嵓(1682~1755?)の号です。彼は人物・山水・花鳥・草虫を描くことを得意とし、とくに花鳥に優れたと言われます。本展では、「新羅山人」の画風に倣ったという扇面と掛軸を展示します。画家ごとの「倣い方」をお楽しみください。
Ⅳ 墨跡の臨書
ここでは、石刻の文字ではなく、肉筆の文字=墨跡を手本とした作品をご紹介します。本展では、中国書法史において革新派と称される宋の蘇軾(1037~1101)・黄庭堅(1045)・米芾(1051~1107)の書を臨書したものと、草書の理論書であり、また草書学習の手本として有名な孫過庭(648~703)の「書譜」を臨書したものを展示します。
Ⅴ 惲寿平に倣う
清時代初期の画家である惲寿平(1633~1690)の画風に倣った作品を展示します。彼が没骨 (輪郭線を描かず直接に対象を描く技法)で描いた花鳥画は、清時代を通じて多くの画家に影響を与えたとされます。本展では、惲寿平に倣ったものと、その画風を擬すもの、惲寿平の手本を写したものをご紹介します。
Ⅵ 名跡を学ぶ
最後に、「名跡を学ぶ」臨書を展示します。ここで手本となるのは、中国書法史において正統派と称される趙孟頫(1254~1322)の書をはじめとした、名跡の数々です。いつの時代でも参照される名跡には、時を超える普遍性が備わっています。筆を通して、その普遍性を味わう臨書は、書家たちにとって楽しい学びの時間でもあるのです。
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