長三洲(1833~1895)肉筆の行書幅。臨居に咲く梅の花の香りが満ちた様子を題材に漢詩を読み、友の家へと訪れ、その交流を深めようとする七言絶句である。三洲の書は、明治13年(1880)の楊守敬(1839~1915)の来 […]
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日下部鳴鶴(1838~1922)は、名を東作、字を子晹という。彦根藩士田中家の次男として生まれ、日下部家の養子となる。明治13年(1880)、楊守敬(1839~1915)の来日により、巌谷一六(1834~1905)、松田 […]
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大田南畝(1749~1823)は、江戸時代中期~後期の狂歌師、戯作者であり、幕臣。儒学者である松崎観海らに学んだ。洒落本、黄表紙を多くかき、「万載狂歌集」などで狂歌界の中心となる。寛政の改革の後は、一時、筆をおり支配勘定 […]
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佐久間象山(1811~1864)が万延元年(1860)松代聚遠楼蟄居時代の50歳のとき、自作の賦を縦176センチ、横97センチの唐紙に書いたもの。象山はこの詩を好んだようで、長野・真田宝物館などにも所蔵されており、また東 […]