中林梧竹(1827~1913)は、名は隆経、字は子達といい、号の梧竹で知られる。肥前(佐賀県)小城町の鍋島藩に仕える名家に生まれ、江戸に出て山内香雪、市河米庵に学んだ。明治十五年(1882)、清国へ渡り、長崎領事の余元眉 […]
東久世通禧(1833~1912)は、幕末から明治時代にかけて活躍した公卿で、文久3年(1863)京都より追放されたいわゆる「七卿落ち」の一人。明治に入ってからは政府の要職につき、貴族院副議長などを務めた。本書は、その落款 […]
中沢雪城(1808?~1866)は、江戸時代後期の書家。越後(新潟県)長岡藩士。藩校・崇徳館で学び、江戸に出て巻菱湖(1777~1843)に師事。のち塾をひらく。菱湖門四天王のひとり。門下に巌谷一六(1834~1905) […]
巌谷一六(1834~1905)は、名は修、字は誠卿、一六、古梅、金粟などと号した。近江(滋賀県)水口藩の侍医の家に生まれ、幼時から学を好み、明治維新後、政 府に仕えて貴族院議員となった。書は初め、中沢雪城につき巻菱湖風を […]
高邕(1850~1921)字は邕之、苦李・聾公・赤岸山民と号した。杭州(浙江省)の人。上海に寓した。書法に長じ、唐の李邕(北海)を深く慕い、李盦 とも号した。晩年は鄭燮や李瑞清を学び、結体は「瘞鶴銘」を範とした。宣統元年 […]
丁仁(1879~1949)は原名を仁友、字を子修、また輔之といい、鶴盧と号した。浙江杭州の人。画は梅花を善くし、書は甲骨文・金石文を精写し、篆刻 にも優れた。光緒30年(1904)には王禔らとともに杭州に西泠印社を設立し […]
何紹基(1799~1873)、字は子貞、東洲または袁叟と号した。湖南道州の人。道光16年(1836)の進士。官は四川学政に至る。書は家学である顔真卿(709~785)を宗とし、金石碑版を広く学んだ。 本作は、何紹基最盛期 […]