玄宗(685~762)の「御注孝経」には、開元10年(722)の「開元始注」と、天宝2年(743)の二種がある。この碑は後者を玄宗自ら書して石に刻させ、大学に置いたもので、高い石の上に立てられたため「石台孝経」と呼ばれ、 […]
「紀泰山銘」は、唐の玄宗皇帝(685~762)が封禅(皇帝の即位を天と地に報告する儀式)を行った時に刻された碑です。高さ 13.2m、横幅約5.3mの岩壁に約1,000文字が刻されています。太く力強い姿の隷書は、玄宗の代 […]
「紀泰山銘」は、唐の玄宗皇帝(685~762)が封禅(皇帝の即位を天と地に報告する儀式)を行った時に刻された碑です。高さ 13.2m、横幅約5.3mの岩壁に約1,000文字が刻されています。太く力強い姿の隷書は、玄宗の代 […]
「礼器碑」は後漢時代の永壽2年(156)に隷書体で刻された石碑です。全16行、一行は36字となっています。額は無く、碑陰・碑側に多くの題名があります。「魯相韓勅造孔廟礼器碑」、また「孔廟礼器碑」ともいわれ、単に「韓勅碑」 […]
「碣石頌」は「碣石刻石」とも呼ばれ、秦の始皇帝が河北省昌黎県の西北の土地・碣石を巡遊したときに建てた記念碑です。その文字は李斯が書いたと伝えられますが、原石が早くに失われてしまったとされています。この拓本は北宋の徐鉉(9 […]
「嶧山碑」は「嶧山刻石」とも呼ばれる、秦の始皇帝が山東省の嶧山を巡遊したときに建てた記念碑です。始皇28年(前219)に刻されました。その文字は李斯が書いたと伝えられますが、原石は失われてしまい現存しません。現在見ること […]
韓国・慶南南海郡の山中で発見された、「亀石」と呼ばれる岩に刻まれた文字の拓本です。この文字については諸説ありますが、一般的には「徐市、此を過ぐ」と解釈されています。徐市(じょふつ)こと徐福(生卒年不詳)は、始皇帝に不老不 […]
武士祠は、後漢の地方豪族であった武氏一族の祠であり、石室には画像が彫られています。展示の拓本は西石室第四石で、上中下段からなります。その中段が、「荊軻刺秦王」で、荊軻が始皇帝の暗殺を試みるも、失敗に終わる場面となっていま […]