筒井政憲(1778~1859)は幕末期の旗本であり、大町奉行、長崎奉行等を歴任した。シーボルト事件や、ロシアのプチャーチンとの交渉にあたった人物としても知られる。この作品は、政憲が77歳の時に書いたものである。重厚な墨線 […]
秋萩帖は、第一紙の和歌二首と、第二紙以降第十六紙までの和歌四十六首と王羲之の尺牘十一通の臨書が書かれた巻子。冒頭の和歌の書き出し「あきはぎの」に因んでこの名が付けられている。第一紙は小野道風筆、第二紙以下は藤原行成筆とす […]
野村芳光(1870~1958)は、京都の浮世絵師、野村芳国の養子で、二代目芳国(常松)のもとで画業に励みました。二代目芳国とともに京都祇園の「都おどり」の背景画を担当し、京都・大阪の舞台美術を数多く制作しました。フランス […]
いわゆる『禅林句集』の一種で、禅問答で用いられる禅語の読み下し、出典、解釈が付されているもの。江戸時代には、禅宗の僧の必読の書として広く流布し、また一般の人びとにとっても有益な書物であった。 観峰館所蔵本は、京都の書肆・ […]
題箋に「往生要集」とあるが、元禄2年(1689)本を元版とし、新たに3巻本として出版された「和字絵入往生要集」の寛政2年(1790)本である。源信原著『往生要集』を元に、漢字に仮名交じりの本文に挿絵を入れて編集したもので […]
『往生要集』は、恵心僧都源信(942~1017)原著で、寛和元年(985)に撰述された。阿弥陀仏の浄土に往生するために必要な経文類を抜粋したもので、全3巻よりなる。 江戸時代になると、『往生要集』に関する書物が多く出版さ […]
実語教とは、平安時代末期から江戸時代にかけて出版され、ベストセラーとなった児童教訓書である 。古い書物の中から教訓となる五言・九十六句を選び取り、寺子屋などの教科書として使用された。「山高故不貴(山高きが故に貴からず) […]
グリム童話の絵本として最初期のもので、「狼と七匹の子山羊」を日本で初めて紹介したものである。山羊が八匹になっているのは、「やつやぎ」という言葉の言い回しによるとされている。 明治時代の欧文挿絵本であるちりめん本を出版した […]
「定家」とは藤原定家を指し、定家選「小倉百人一首」の和歌と歌人の肖像とを彩色摺りにした読本。江戸後期には、『若鶴百人一首』をはじめ、多くの百人一首の読本が出版されたが、その中でも特に豪華な彩色本である。 冒頭の曲水宴の挿 […]
新百人一首は、室町幕府第9代将軍足利義尚撰による私撰和歌集。文明15年(1483)10月に成立。この新百人一首は、藤原定家撰の小倉百人一首に漏れた著名な歌人の歌を、勅撰和歌集から百首選定したものである。ただし、91首目の […]