日下部鳴鶴(1838~1922)は、近江・彦根藩出身の書家で、明治維新後は大久保利通の右筆を務め、官を辞して後は、楊守敬を初め、多くの中国書家と交わり、日本の書道界を牽引した。 本作は、日下部鳴鶴が草書で「千字文」を書き […]

日下部鳴鶴(1838~1922)は、近江・彦根藩出身の書家で、明治維新後は大久保利通の右筆を務め、官を辞して後は、楊守敬を初め、多くの中国書家と交わり、日本の書道界を牽引した。 本作は、日下部鳴鶴が草書で「千字文」を書き […]
手紙に書く文例と書の手本を兼ね備えた書籍。序文には、「平易な文章と穏やかな書風」であると記されている。漢字は草書体を多用し、かな文字も連綿線によって続け書きしながら、文字の大きさに自然な大小をつけて紙面全体をまとめている […]
学校で用いられた習字の教科書。右あがりの横画、均整のとれた字形、自然な肥痩を伴う線は、唐時代の洗練された楷書の姿を彷彿とさせる。「信用者資本也」等、教訓めいた語が手本として用いられている。
女子の習字手本として出版された書籍。表紙裏には筆の持ち方、正しい姿勢が挿し絵入りで掲載されている。「いろは」や和歌などの仮名をはじめとして、多様な習字手本が掲載されている。当館は巻一~巻三/巻五を収蔵している。
四季千字文は、「東君戸を啓き、四海長閑なり」で始まる、四季を元に250句の文言を連ねたものだが、その作者は不明である。書者の龍 草廬(1715~1792)は、京都出身の漢詩人であり、儒学者として知られる。一時期、彦根藩に […]
楷書で書かれた千字文に、利用の便に供し、片仮名を振ったもの。奥書に、丁酉秋8月に山金堂の求めに応じて東原舎で書いたとある。書者の富田君貞は、名を幹といい、東原という号を持つが、経歴などは不詳。やや右肩上がりの癖のある書風 […]
雪牕滕淵摸写。奥書に、丁酉秋9月、瑞玉堂の求めにより書いたとある。 両点とは、音読みと訓読とを揃えた千字文という意味である。当館所蔵本は2冊あり、その中の1冊の最終頁には、「嘉永七年寅三月東都芝井町二而求之 鳥居(花押) […]
千字文本文に注釈を加えるとともに、国読(読み方)を付した千字文の注釈書。版元の序文には、当時、出版されていた千字文には、誤りも多く、音訓を振るものについても、意味を正しく理解できず、初学に不向きである。そこで、改めて字義 […]